佐世保総監部の地下にある防空壕
海上自衛隊の佐世保地方隊を取材した際、佐世保総監部の建物の裏にある旧日本軍がつくった地下防空指揮所(防空壕)を案内していただきました。
食事の取材だったので、結局のところ地下指揮所のことは書籍ではボツになったのですが、せっかく案内していただいたので、こちらのブログで紹介します。
なお、記事作成にあたり長崎新聞の記事を参考にしました。
長崎新聞「航跡 海自佐世保地方隊60年」「遺構 地下に残る防空指揮所跡」掲載日平成25年9月20日
防空壕の完成は1944年
現海上自衛隊の佐世保地方総監部の建物裏に、旧軍の地下防空指揮所へ続く入口があります。
完成したのは1944年で、佐世保鎮守府管区内(九州、広島までの中国地方、および四国西部)の防空指揮を担当した場所です。
地下1、2階に分かれて、外側は厚さ最大1メートルのコンクリート壁で覆われた、頑丈な防空壕です。
軍事機密でしたので、終戦と同時に関係書類なども焼却され、資料などはほとんど残っていないそうです。
▲一般公開されていませんので、足場などの状態もあまり良好とはいえません。
制服は、総監部広報係長のN3佐です。
防空壕内部
▲雨が降ると水が染み出すようで、この日は曇りでしたが、地面は所々湿っていました。
地下1階の作戦室
▲地下1階の最も広い部屋が作戦室です。
戦争当時は大きな地図盤が置かれていたそうです。
奥行き約40メートル、幅約30メートル、高さは約4メートル。
隣には、情報室という小部屋があったそうです。
九州各地に配備された見張り所から、昼夜関係なくこの防空指揮所に敵機の空襲情報が寄せられました。情報を統合し、この佐世保の防空指揮所から各地の砲台などに命令が伝えられたとのこと。
当時は最新の通信機器が並んでいたのですが、戦後の武装解除で進駐軍が地下内部を全て破壊し、焼却しました。
消火のために水が流し込まれ、長らく水没した状態でした。
終戦から23年後の1968年、調査されることになり、2年半の年月をかけて排水作業が行われました。
防空壕の一番奥
▲防空指揮所の奥はまだ排水が終わっておらず、深部へと続く階段は水没しています。
どこに続いているのかは資料が現存しないために不明とのことです。
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